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名古屋地方裁判所 昭和55年(ワ)2179号 判決

原告

中村幸一

被告

住友海上火災保険株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(請求の趣旨)

被告は原告に対し金四〇五万九九三五円及びこれに対する昭和五三年七月一二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

(請求の趣旨に対する答弁)

主文同旨の判決を求める。

(請求の原因)

一  訴外亡中村兵一は左記交通事故によつて受傷、入院加療したが、昭和五四年一〇月二二日死亡した。

(1)  昭和五三年一〇月一五日午前七時五〇分頃

(2)  島根県益田市あけぼの西町一八番地六先路上

(3)  加害車両 大型貨物自動車(名古屋11き三五―四六)

(4)  右運転者 訴外横田祥治

(5)  事故態様 前記訴外兵一が道路歩行中これに加害車両が衝突した。

(6)  傷害の内容、程度

頭部外傷、脳挫傷により昭和五三年一〇月一五日から同五四年七月一一日まで益田赤十字病院に入院治療を受けた。

二  責任

1  本件事故は右訴外横田の前方不注意によるものである。

2  加害車両は訴外有限会社東和陸運(以下東和陸運という)が保有するものであつたから、自賠法三条により、同会社が損害賠償責任を負う。

三  損害

訴外兵一は本件事故によつて次の損害を被つた。

合計 金四四九万九九三五円

内訳

(1)  治療費 金二四三万六五三五円

但し、昭和五三年一〇月一五日から同五四年七月一一日までの分

(2)  入院雑費 金一六万一四〇〇円

二六九日×六〇〇円

(3)  入院付添費 金八〇万七〇〇〇円

二六九日×三〇〇〇円

(4)  慰藉料 金八五万五〇〇〇円

(5)  逸失利益 金二四万円

右兵一は当時学校用務員として月額二万円の手当を受けていた。

四  相続、損益相殺、弁護士費用等

1  右兵一の前記損害賠償請求権は、同人の死亡により原告が単独相続した。

2  原告及び亡兵一は、本件損害に対して前記横田より金八〇万円を受領している。これを損益相殺すると、原告が相続した損害賠償請求権は金三六九万九九三五円となる。

3  原告はこの外に本件事故による原告固有の損害として弁護士費用金三六万円を要した。

4  従つて、原告の請求しうる金額は総計四〇五万九九三五円となる。

五  被告の責任

1  原告の本件事故に基づく損害は、前記横田及び東和陸運の不真正連帯債務として、これらの負担すべきものであるところ、右横田には支払能力なく(実刑判決を受けて服役し)、右会社も亦本件事故後倒産して賠償能力を失つている。

2  ところで、東和陸運は本件事故当時被告との間で本件加害車両を被保険自動車とする交通事故による対人損害賠償保険契約(任意保険)を締結していた(証券番号五二四八―九一〇二〇四)。従つて東和陸運は被告に対して本件事故による損害賠償保険金の支払請求権を有している。

3  そこで原告は本件事故による前記損害賠償請求権についてその債権を保全するため、東和陸運の被告に対する右損害賠償保険金請求権を東和陸運に代位して行使しうる地位にある。

(請求原因に対する答弁及び抗弁)

一  請求原因に対する認否

一項の事実中中村兵一が交通事故により受傷、入院加療した事実は認め、同人が昭和五四年一〇月二二日死亡した事実は不知、同項中(1)ないし(5)は認める。(6)は頭部外傷、脳挫傷により益田赤十字病院に入院加療した事実は認め、その期間は不知。二項1は否認する、同項2は本件加害車両が東和陸運の保有するものである事実は認め、その余は否認する。三項、四項はいずれも不知。五項1の事実中横田に支払能力がなく、東和陸運も亦本件事故後倒産して賠償資力を失つている事実は不知、その余は否認する。同項2の事実中東和陸運が被告との間に原告主張の保険契約を締結していた事実は認め、同会社が被告に対し損害賠償保険金の支払請求権を有している事実は否認する。同項3の事実は不知。

二  被告の主張

1  東和陸運が被告に本件事故による損害賠償保険金支払請求権を取得するのは、本件保険契約に適用される自動車保険普通保険約款第四章第一七条第一項第一号により、被保険者である東和陸運と賠償請求権者である原告との間で本件事故に基づく損害賠償の件につき判決が確定したとき、または裁判上の和解、調停もしくは書面による合意が成立したときである。右の「書面による合意」とは、判決、裁判上の和解、調停と同視しうべき程度のものであることを要するところ、原告と東和陸運との間には右要件に該当する「書面による合意」は未だ成立していないと解すべきである。従つて、原告が代位行使するところの東和陸運の被告に対する損害賠償保険金支払請求権は存在しない。

2  仮に右主張が認められないとしても、予備的に次の主張をする。

前記約款第四章第一三条第三項において「保険契約者または被保険者が前条第二号(事故の通知)……の書類に故意に不実の記載をし、またはその書類もしくは証拠を偽造し、もしくは変造した場合には、当会社は保険金を支払いません。」旨規定しているところ、保険契約者兼被保険者である東和陸運は、昭和五三年一二月一三日被告に対し保険金一括支払請求をするに当り、その添付書類である交通事故証明書及び事故報告書に、加害車両運転者に関し、事実は訴外横田祥治であるのに別人である訴外寺尾介秀と記載した。

右東和陸運の行為は前記約款第四章第一二条第二号(事故の通知)に規定する書類に相当する右証明書及び報告書に故意に不実の記載したもので前記第一三条第三項に該当する。

(被告の主張に対する原告の認否並びに再抗弁)

一  被告の主張1、2はいずれも争う。

1  東和陸運と原告との間には昭和五五年一〇月五日付で損害賠償に関する合意書が成立している。

2  事故証明書は被告に対する通知書類でなく、東和陸運が不実記載したものでもない。保険金支払請求書と事故報告書とは東和陸運が作成したものであり、かつ、加害運転者名について「不実の記載」があるが、しかしこれは右事故証明書に「寺尾」とあるからこれに従つて加害車両運転者名を「寺尾」としたものであるから、「故意に不実の記載をした」とはいえない。約款にいう「故意」とは真実を告げれば保険金の請求ができない事項について保険会社を欺罔する意図(悪意)で行為することをいうと解すべきである。

また、事故報告書の中心は事故の態様であり、保険金支払請求書の中心は保険金支払請求の意思表示であつて、いずれにおいても運転者名の記載は、事故発生の日時場所等と並ぶ事故の特定資料の一つに過ぎない。ちなみに、本件保険契約においては運転者は限定されていない。従つて、運転者名の記載は約款が保険金支払義務免除の罰則をもつて要求する真実記載の対象事項ではないと解される。

この点について、商法六四四条において保険契約上の告知義務が保険事故に因果関係のある重大事実に限定されていることと十分に考え合わされるべきである。

3  保険契約約款の拘束力について(権利の濫用)

保険契約は最大善意の契約であるといわれる。保険契約においては保険会社は契約者から支払われる保険料に対してとくに常に反対給付をしているものではない。このような契約においては一方が不労の利得を得る偶然性を必要最少限に限定されるべきである。本件において問題になつている運転者名の記載の要請は被告の保険業務の事務上の便宜から要請されたものであつて、これが偶然不実であつたことによつて保険会社に更に不測の利益を得せしめる必要性はない。

また、保険制度は多数の加入者を集めて団体を構成しその加入者の拠出する保険料の集積からくる共同の基金を準備して団体の一員がある偶然の出来事に遭遇したとき、その共同基金の中から支払うという団体的共同備蓄の制度であり、加入者の相互救済の制度であつて、保険者はこの共同体のいわば管理者の役割を負うに過ぎない。本件のようにたまたま単に運転者名が不実であつたからといつて保険金の支払を拒否するのは右のような共同体的保険制度の趣旨に反するといわなければならない。

本件における被告の主張は右に述べたところからいつても権利の濫用である。

(再抗弁に対する被告の認否)

原告の権利濫用の主張は争う。保険会社においても契約者に対し反対給付をする場合はその額は支払保険料の数倍、数十倍にものぼるものであり、それが可能であるのも、保険事故の不発生がある確率をもつて予想されるからである。かような仕組みこそ保険の特質であり、原告の右主張は失当である。

(証拠)〔略〕

理由

一  請求原因一項の事実中訴外中村兵一が同項(1)ないし(5)において特定された交通事故により頭部外傷、脳挫傷の傷害を受け益田赤十字病院に入院治療を受けた事実は当事者間に争いがなく、その方式、内容から公文書と認められるので成立を推定する甲第一、第二号証によると同人が昭和五四年一〇月二二日死亡し、原告が同人の長男である事実を認めることができる。

二  右加害車両を東和陸運が保有していた事実は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば請求原因二項の事実中右以外の事実を認めることができる。

三  請求原因三、四項の判断はさておいて、原告が被告に対し本件事故による損害賠償保険金支払請求権を有しているか否かにつき判断する。

1  東和陸運が本件事故当時被告との間で本件加害車両を被保険自動車とする交通事故による対人損害賠償保険契約(任意保険)を締結していた(証券番号五二四八―九一〇二〇四)事実は当事者間に争いがない。

2  よつて被告の主張1について考察する。

弁論の全趣旨によつて本件保険契約に適用されるものと認められる自動車保険普通保険約款(成立に争いのない乙第一号証「自動車保険のしおり」所収)の第四章第一七条第一項第一号には被告に対する保険金請求権の発生、行使の要件として「賠償損害に関しては、被保険者が損害賠償請求権者に対して負担する法律上の損害賠償責任の額について、被保険者と損害賠償請求権者との間で、判決が確定した時、または裁判上の和解、調停もしくは書面による合意が成立した時」と記載されている。右の「書面による合意」が「判決、裁判上の和解、調停」と並べて列記されている趣旨は被保険者の賠償の意思及び損害賠償請求権者の賠償を求める範囲が双方の一致した合意の形で書面上明確にされるをもつて足りると解すべきところ、証人横田祥治の証言によつて成立を認める甲第四号証によれば損害賠償請求権者たる亡中村兵一の相続人代表中村幸一(原告)と被保険者東和陸運との間において昭和五五年一〇月五日、損害賠償の範囲を具体的に定め、これを被保険者が損害賠償請求権者に支払う旨の合意を記した合意書が作成されている事実が認められる。よつて被告の主張1は理由がない。

3  次に、被告の主張2について考察する。

前記乙第一号証によれば前記約款はその第四章第一三条第三項において「保険契約者または被保険者が前条第二号(事故の通知)……の書類に故意に不実の記載をし、またはその書類もしくは証拠を偽造し、もしくは変造した場合には、当会社は保険金を支払いません。」と定めており、また右第一二条第二号には通知すべき内容として「事故発生の日時、場所、事故の状況、損害または傷害の程度、被害者の住所、氏名または名称」を要求しているところ、証人横田祥治の証言及び同証言によつて成立を認める乙第二ないし第四号証によれば次の事実を認めることができる。

イ  本件事故は東和陸運(昭和五一年九月一日設立)の初代の代表者であり、かつ本件事故当時から現在にかけての代表者服部多恵子の夫(当時は内縁)である右横田祥治が惹起したものであるが、同人は当時運転免許が取消されて無免許であつたので、これをかくすため、事故直後に警察官から運転免許証の提示を求められたとき、知人寺尾介秀の名をかたつて免許証を携帯していない旨申告し、事故報告書(乙第四号証)の加害(当方)運転者氏名を「寺尾介秀」と記載した。

ロ  昭和五三年一〇月二七日付交通事故証明書(乙第三号証)には甲欄の氏名が「寺尾介秀」と記載されている。

ハ  右各書類を添付した自動車・自賠責保険〔保険金損害賠償額〕一括支払請求書(乙第二号証)を東和陸運が作成し(但し被告の社員が所要事項の記入を代行)、被告に対し支払請求をした。

右認定の事実によれば東和陸運は事故の通知の際作成・添付を要求される書類に故意に不実の記載をなしたものというべきである。なお、右約款にいう「故意」を「真実を告げれば保険金の請求ができない事項について保険会社を欺罔する意図で行為すること」と解すべき根拠はなく、本件保険契約において運転者が限定されていないこと(弁論の全趣旨によつて成立を認める甲第三号証によつてこれを認める)も右解釈を左右するに足りない。

従つて保険契約者兼被保険者たる東和陸運は右約款に触れるため被告に対し保険金請求をなしえないものであり、全証拠によつても右約款による保険金支払の拒否が権利の濫用に該るものと認むべき根拠はないから、損害賠償請求権者の代位すべき保険金支払請求権は存在しないことに帰する。

四  よつて、原告の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田宏)

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